本の記録

202102

 

ぼくは勉強ができない(山田詠美

「煙をつかむのに手間をかけて何が悪い。‥‥物質的なものなんぞ死んだら終わりだ。それなら煙のほうがましだ。始末に困らないからな。」

 

ぼくの小鳥ちゃん(江國香織

 

いちご同盟三田誠広

 

活発な暗闇(江國香織

 

ウエハースの椅子(江國香織

「紅茶に添えられた角砂糖でいるのが、たぶん性に合っていたのだろう。役に立たない、でもそこにあることを望まれている角砂糖であるのが。」

 

第2図書係補佐(又吉直樹

 

202103

 

「さよなら」が知ってるたくさんのこと(唯川恵

 

202104

 

 

さがしもの(角田光代

 

 

夜間飛行(サン=テグジュペリ

 

 

202107

 

52ヘルツのクジラたち(町田そのこ)

 

なめらかで熱くて甘苦しくて(川上弘美

「わたしだけ。水面は思った。ここには、わたしだけ。そして、わたし自身も、あんまりいない。」

 

とりつくしま(東直子

 

ひとり暮らし(谷川俊太郎

 

少女七竈と七人の可愛そうな大人桜庭一樹

 

ぬるい毒(本谷有希子

 

202108

 

号泣する準備はできていた(江國香織

「自由とは、それ以上失うもののない孤独な状態のことだ。」

 

すべて忘れてしまうから(燃え殻)

「そうだ。僕たちは必ず死ぬんだった。ほぼ同時刻に満員電車に乗る日常を繰り返していると、〝いつか死ぬ〟と脳では分かっているはずなのに、ふとこの日常が永遠に続くような徒労感に襲われることがある。でも本当はこの日々の果てに、僕たちはひとり残らず死ぬ。何も持たずにすべてを置いて僕たちは必ず死ぬんだ。」

 

推し、燃ゆ(宇佐見りん)

「寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。」

 

永遠の出口(森絵都

 

生きてるだけで、愛。(本谷有希子

 

ルビィ(重松清

 

蛇を踏む(川上弘美

 

蛇にピアス金原ひとみ

「私は欠けた歯をかみ砕いて飲み込んだ。私の血肉になれ。何もかもが私になればいい。何もかもが私に溶ければいい。」

 

ぼくは勉強ができない(山田詠美)2

 

202109

 

大人になる本(バット・パルマー原作eqPress翻訳)

 

老人と海ヘミングウェイ

「見事なやつだったな、と老人は思い出した。あいつ、最後までそばを離れなかったのだから‥‥あの子も悲しがっていたっけ。だから二人で雌に謝って、すぐに捌いてしまったのだ。」

 

夜を乗り越える(又吉直樹

 

海(小川洋子

「仕舞って置く場所を心の中に確保できるのさ。生涯もう二度と、思い出さない記憶だとしてもそこにちゃんと引き出しがあって、ラベルが貼ってあるというだけで皆安心するんだ」

 

若きウェルテルの悩み(ゲーテ

「人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために、一生の大部分を使ってしまう。」

 

本を読む本(M.J.アドラー、C.V.ドーレン)

 

202201

 

薬指の標本小川洋子

「溶けたアイスクリームがソーダの泡と一緒に、ゆっくりとガラスの底へ沈んでいく。」

 

美しい心臓(小手鞠るい

「愛を海にたとえるとするならば、嘘は塩の結晶のようなものだった。嘘のない愛は、あり得なかったとも言える。夫もわたしもふりまわされていたのだ、愛という名の嘘に」

 

燃えつきるまで(唯川恵

 

ふがいない僕は空を見た窪美澄

 

あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる)

『誰に対してのラブレターだろう。親切にしてくれたバファリン女か。それとも、「こんなに親切で優しい私」ヘ宛てたものか。』

主人公でいること

2020年9月23日の日記

 

模試が終わり、シルバーウィーク明け

 

3時間目を欠席し図書室でこの日記を開いている。わたしはおそらく、思春期鬱のようなものの餌食となって、現実味のない残酷な夢の中を浮遊している。今はただ無性に強く優しい人間になりたいという思いだけが頭に浮かぶ。

今まで何かうまく出来なかった自分を見下して罵って殺すことで生きてきた。全く勉強できなかった日のダイアリーには自傷によって溢れた血とともに「死ね」という文字が刻み込まれていた。

もっと自分を愛して、どんな自分でも許したい。

強く生きたい、楽を求めて縋るように生きるのではなく、そうして苦しむのではなく

 

ところで、先日Nと別れた。引き金は価値観の違いだ。Yとの付き合った経験を経て、二度とモラハラみたいなことをする人間とは付き合わないと心に決めていたのに、やはりわたしを愛してくれる人が欲しくて、2人の間の違和感は目を瞑って無理矢理信じていた。人の弱みを握って弄ぶのが好きというNの心の汚さに苦しんだりもしたし、わたしもその対象になって、またモラハラのような人間に引っかかったな〜と思いながらも。早く楽になりたいという弱さが結局さらなる苦しみを引き寄せた。

あの時もっと冷静になっていれば「付き合う」という選択肢を取らなくて済んでいたのだろう。救い用のない馬鹿だ。

結局、酷い傷を負ったまま別れた。抱きしめて慰めて、愛をくれる人を失ったため、行き場のない悲しみを背負っている。

わたしはもっと強くなりたいと思った。

 

 

わたしは少女の夢の中に入っていきたい。

少女のような純粋さ、芯のある美しさ、弱くても自分を許す強さ

残酷な現実の中でわたしだけでも、せめて甘い夢の中を彷徨っていたい。

夢と夢を跨いで少しずつ甘い永遠の死へ進むの。

 

 

 

心の中だけでも1冊の物語の主人公でいること。

 

 

18歳の誕生日

2020年10月19日、18歳1日目

 


今日から18歳。昨日の夜から漠然ときた不安がわたしを襲う。

こんなわたしは17歳を終えてよかったのか。このままの自分で18歳を生きていけるのだろうか。18歳になる資格なんて無かったんじゃないのか。先生と電話して少し落ち着いたものの、やはり少し息苦しい。

誕生日っていつからこんなに苦しいものだったんだろうか。去年までは多くの人から愛をもらう大切な日だったのに。お祝いを嬉しいという純粋な感情で受け取る日だったのに。

今年はいったい何なのだろう。何よりも絶望感が酷い。

きっと小さな頃は誕生日が来てさよならするものは、哺乳瓶や知育遊具みたいなものだけだったんだ。でもいまは、「もう〇〇歳だから」といって親から見離されて(これが他動的な親離れ?自立?)、次第に周りの人もそれぞれ進んでいくから、わたしの支えとなるものを次々と失って、いつからか孤独に社会に放り投げられる区切りの日となったのかもしれない。

まるで死の練習をしているようで、お祝いなんて馬鹿馬鹿しい。

死ぬ時まで寄り添うからね。

そういった類の温かい言葉が、今のわたしには必要なんだろう。

突然襲ってきた憂鬱

さっきの話をする。

いま、というのはさっきのことだ。

 

いま、本屋にいる。

本屋にいて、勧められた本だったり、気になる本だったりを探して、徘徊している。最近は週に3、4回は本屋に訪れている気がする。

わたしは最近、たくさん本を読んでいる。本は寂しさを埋めるのに丁度いいと聞いたから、寂しいわたしは、狂ったように本を求め、貪るように本を読んでいる。いろんな世界に連れて行ってくれる本は、薄味で、淡白なわたしの日常を鮮やかに彩る。わたしはいま、とても満たされていると、幸せな気持ちになる。

昨日の夜、おすすめされなかった本を手に取った。よく本を勧めてくれる人が、「これは読まなくていいけど」って言っていた本。まだ難しい、というか、わたしにはハードな内容だと判断したのだと思う。実際わたしには難しく、描写もなかなかハードだった。

わたしはすごくすごく悔しかった。その本を読むことができたら、その人と同じ場所から世界を眺められるんじゃないかと思っていたから。でも、そうなるにはまだまだ幼いし、経験もペラペラに薄い、そもそもわたしは頭が良くない、というか弱いので、今落ち着いて考えると、まぁ当然でしょ、と思う。でも、わたしはその人と同じ場所に辿り着きたかった。

わたしも難しい本や、ハードな描写がある本を読めるようになりたいと強く願いはじめた。もともと願ってはいたけれど、昨日の夜からは特に。わたしは難しい本を読める人にとても憧れている。背伸びをしてでも、どうにかそこに辿り着きたい。。。

 

 

 

って、憧れを抱く自分になりたいのかもしれない。と気づいたのがちょうど今。

わたしは最近、どうしてわたしはいつまで経っても憧れに辿り着けないのだろうと考えていた。幻を幻にしておきたいと思う人がいるように、わたしは憧れを憧れのままにしておきたいのかもしれない。[憧れの何かに憧れている自分に]憧れているという憧れだけを自分のものにしている、とも言えるのかな、、

だめだ、頭の中がごちゃごちゃしてきた。

とにかく、わたしは成長したいとおもう自分に酔っているのかもしれない。そんな気がした瞬間から憂鬱なのだ。本屋を彷徨う今も、なんで情けないんだろうって思っている。憧れを憧れで終えようとする、成長しない人間。あぁ、いつのまにこんな人間になってしまったの、消えたいな、と思う。

だめだ、本を探しているはずなのに本が見れない、限界だ。と思って、レジに本を3冊持っていく。

頭の中がバグりかけたわたしは、店員さんの丁寧すぎる挨拶にちょっとイライラした。落ち着きなさい、わたし。明日もきっとここにくる。また同じ憂鬱を味わいながら、情けない自分を恥じながら、まるで賢い女の子みたいな振る舞いで本を手に取っては戻し、手に取っては戻し、を繰り返すのだろう。絶望的にダサいな。

いつかこんなダサいわたしを卒業できたら、と思う。ダサいわたしを卒業したい、という思いを抱く自分に憧れを抱いてしまわないように、注意深く頭の中を片付けていく。

 

いま、というさっきのはなし。

 

 

「可愛い」と粘着する赤

こんにちは、なのです。

はじめて長い文章を書きます。

拙い文章ですが、何卒。

 

わたしは幼い頃、本当にたくさん可愛がってもらった。親にも、親戚にも、街ゆく人にも、「可愛いね」とよく言われた。

強気にいうと、これは当然。わたしはとても可愛かった。可愛い自信があった。青く光るほどに美しくまっすぐな黒髪、陶器のように白く傷ひとつない肌、陽に当たると異様なほど美しく透き通る栗色の瞳。ほっそりとした手足が白く光る、儚げで可愛らしい少女だったと思う。

わたしが「可愛い」自信を失い始めたのは中学生の頃だった。大きな原因はふたつだと思っている。

一つ目、純粋に「可愛い」と言われることが減った、ということ。わたしは、自分の承認欲求を周囲の人間の「可愛い」で満たしてきたので、存在価値もわからなくなっていった。(この頃も可愛かったと断言できます、恥ずかしながら。)

二つ目、肌荒れ。そこまで酷く荒れたわけではないけれど。とても悔しかったし苦しかった。肌荒れを気にしすぎたあまり、ニキビを潰しちゃったり、瘡蓋を剥がしちゃったりもした。「陶器肌」を壊して醜くなる自分が醜くなった。

「可愛い」に限らず、自信や存在価値を失ったのも中学生の頃。当時付き合っていたひとの言葉や態度に苦しめられた。その時はじめて「死にたい、消えたい」という思いが芽生えた。かれこれ1年間その言葉と態度を我慢し続けた。

その頃からだった。わたしは自分自身を傷つけることでストレスを解消し始めるようになった。肌荒れを気にし始めた頃と同じ方法で。不安になったり、悲しかったり、怒ったりしたとき、決まって顔のニキビや瘡蓋をむしってしまう。

衝動的にそれは始まって、気づいた頃には手が血で塗れていたり、額からツーっと血が垂れていたり、ということは少なくない。そして、今でもその癖は治らない。

もう、鏡を見ても、幼い頃の「可愛さ」も美しい肌も失われて、痛々しい傷跡が額や頬に残った疲れ果てた人間の顔しか出てこない。絶望している。

 

わたしは、

わたしは、もうどうしたらいいかわからずにいる。自分の肌を傷つける以外のストレス発散の方法がわからない。やめようやめようと思っても、やめられない、、。

馬鹿なわたしはきっとこれからもわたしは手を血に染めて、泣いて眠り、また朝が来たら傷を隠そうとコンシーラーを必死に塗って「可愛い」を作って出掛けるのだろう。そうやって生きるしかないのかもしれない。